アレッツォ
トスカーナ州の中世の城壁に囲まれた美しい街並みが今もなお残ってる小さな可愛い街です。
「Life is beaautiful」のロベルト・ベニーニの超有名作。感動の作品です。そこの舞台がここアレッツォ。街自体が映画風景、何も手も加えずとも映画のように綺麗な中世風景が残されてます。
また、アンティークの街。第1日曜と前日の土曜が開催されてます。
絵画作品
貴金属、写真立て
生地
絵画
シルバー、銀食器
銅食器
絵画
なぜか街中でバルディエレ(髭剃り屋)も(笑)
あとアレッツォは洗練された比較的安いレストランも揃っています。
もう一つ、アレッツォといえば・・
サン・フランチェスコ教会。
世界美術史上最も魅力的な絵画の一つである、ピエロ・デッラ・フランチェスカ制作のフレスコ画「聖十字架伝説」が保存された教会としてその名が知られています。
全体図を綺麗に撮ることができなかったので、少し参照します(アレッツオ再発見ネット)
「聖十字架伝説」とは、キリストが磔刑に処せられた十字架の聖木にまつわる伝説です。
①アダムの死
イブに看取られながら臨終を迎えたアダムは、息子のセツにエデンの園の大天使ミカエルから「聖油」をもらってくるように頼みます。セツがエデンの園から戻ると、アダムは既に死んでいたので、大天使ミカエルからもらった「生命の木」を彼の墓の上に植えました。アダムの息子たちは、彼の死を悲しみました。ソロモン王は大木に成長したこの聖木を、シアロムの川に橋として架けました。
②聖木の礼拝・ソロモン王とシバの女王の会見
シバの女王がエルサレムを訪れる途中、将来キリストがこの聖木に磔刑に処されるのを予知した彼女は、この橋の前で跪いて礼拝します。そしてソロモン王と会見したシバの女王は、彼にこの木がユダヤ人の王国に終末をもたらすかもしれないという神の啓示を伝えました。
③聖木の運搬
シバの女王の予言を信じたソロモン王は、この木を地中深く埋めさせました。しかし後に、木が埋められた場所で池を掘った時に、この木が水面に浮上し、シバの女王の予言通り、この木でキリストの十字架が作られました。
④コンスタンティヌス帝の夢
キリストの受難から既に3世紀もの時が流れ、エルサレムも破壊されてしまいました。コンスタンティヌス帝は帝位継承権をめぐって、敵のマクセンティウス帝と決戦を迎える前夜、夢に現れた天使から「十字架を軍旗に掲げよ」という神の啓示を受けます。
⑤コンスタンティヌス帝とマクセンティウス帝の戦い・コンスタンティヌス帝の勝利
コンスタンティヌス帝は神の啓示に従って十字架を軍旗に掲げて進撃し、ミルヴィオ橋の戦いでマクセンティウス帝を倒しました。(312年)勝利を収めたコンスタンティヌス帝は、晴れてローマ帝国の新皇帝となり、キリスト教を公認しました。(313年)
⑥ユダの拷問
コンスタンティヌス帝の母、聖女ヘレナは、聖十字架を探すためにエルサレムに巡礼します。聖十字架の隠された場所を知っているユダは、涸れ井戸の中に吊される拷問を受け、7日目についにヴェヌス神殿の下に聖十字架が埋められていると白状しました。
⑦十字架の発見と検証
ユダの白状通り、ゴルゴダの丘から3本の十字架が発見されました。聖女ヘレナはどれがキリストの十字架であるかを検証するために、通りがかりの葬列で3本の十字架を順番に死者の上にかざしてみたところ、死者を蘇らせた最後の十字架こそが「真の聖十字架」であると判明します。
⑧ヘラクリウス帝とホスロー王の戦い・ホスロー王の斬首刑
ペルシャ王ホスローがエルサレムに攻め込み、聖十字架を奪い去る事件が起こりました。(615年)これを知った東ローマ帝国皇帝ヘラクリウスは、ホスロー王を攻め、聖十字架を奪還しました。(618年)戦いに敗れたホスロー王は改宗を拒否したため、容赦なく首をはねられました。
⑨皇帝ヘラクリウスのエルサレム入城と聖十字架の賞揚
皇帝ヘラクリウスは聖十字架を返却するために、エルサレムに入城しようとすると、城門の上に天使が現れ、「主キリストはかつてこの門を通って受難の地に赴かれる時、つつましくロバに乗り、質素な衣類に身を包んでおられました。」と諭されます。皇帝は乗っていた愛馬から下りて、靴を脱ぎ、豪華な衣装をいっさい脱ぎ捨てて、聖十字架を高く掲げながら入城しました。エルサレムの市民たちが皇帝一行を歓迎しました。
⑩受胎告知
救い主の物語の結末として、ピエロ・デッラ・フランチェスカは人類の救い主の復活を予知する「受胎告知」を描きました。
※Cartaria Aretina出版「Arezzo Guida」から引用
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